2010年05月29日

時代

昨日、特別養護老人ホームに実父側のおばあさんのお姉さんが入院してるので、面会に行ってきました。

大正11年(1922年)生まれの88歳のおばあちゃん。子供がいないから『私をおばあちゃんと呼ばないで!おばちゃんよ!』ってことで、おばちゃんと呼んでます。

おばちゃんは旦那さんを結核で若い頃に早く亡くし、子供もいなかったから今まで一人でたくましく生きてこられた方で、私の母が亡くなった頃近所やったおばちゃんが、おかず作ってくれたりして、お世話になってる方でもあります。

そんなおばちゃんに、妊娠の報告!

ヒ『おばちゃん、赤ちゃんできたよ〜』

おば『ネエちゃん誰かな?』

ヒ『○○○!』

おば『あぁ〜○○ちゃんかぁ〜』

おば『よくここが分かったね〜』

ヒ『兄ちゃんに聞いてん』

東京に行ってる間に、ボケがひどくなり一人での生活が困難になり数年前から特養に入ってたのです。場所は入所で立ち合った兄に聞いて来ました!

ヒ『赤ちゃんを、はよ〜産んでってずっと言ってたやん!!本当に産まれんで〜』

おば『ほんまか〜いつなんや〜?』

ヒ『七夕やで』

おば&Aおば『エエ時やないの〜』

っと、おばちゃんの特養親友らしきAおばあちゃんと二人で喜んでくれました。

『名前は〜七子やなぁ〜』っと二人。

ヒ『ごめんやけど、七子はないわ!あやめとかそんな方がイイわぁ〜(笑)』

さすが、大正生まれ名付けがストレート(笑)

おば『でも、平和な時代に赤ちゃん産むねんなぁ。私らが○○ちゃんの頃は戦争中、戦後やったから子供を育てるのも大変やった。自分が生きるのに食べるのに必死やった〜。大阪の中心やったけど、食べる物無かったから。』

聞くとAおばあちゃんも子供がいないのだとか。
20代前半の時期が終戦ですからね。
本当に生きるのに必死で自由も無く子供を産むってタイミングも無かったと。

1922年生まれだと、満州事変、2.26事件日中戦争、太平洋戦争、大阪大空襲、原爆投下、終戦。東京オリンピック、大阪万博〜は体験してますもんね。日本の怒涛の時代を生きてきた人達です。

私が同じ時代を生きてたらどんな人生になってたんだろ〜っと考えちゃいます。家族や旦那、恋人、大事な人が戦争で召集されたり、大事な人達が亡くなったり。自分は、この人達みたいに強く生き抜けたのかな?多分、無理なんじゃないかな?

強く生きてきたこの方々を本当に尊敬します。
戦後も頑張ってくれたから日本の復興も早く急速に日本が発展して今の日本があるんですからね!

そんな話の途中に、おばちゃんのベッドから可愛い話声が

おば『ぴ〜ちゃんど〜したの〜?』

っと赤ちゃんの喋るお人形さんがお布団から現れ。自分の子供?赤ちゃんのように話かけていて。

その姿を見た時に、子供を産み育てたかったんやなぁ〜って再度思いました。

その瞬間何となく
ヒ『お腹撫でてあげて〜』って言ってました。

こんなにも小さかったかな?っと思うくらい小さくなったおばちゃんと。腰が曲がって小さくなったAおばあちゃんが私のお腹に手と耳をあてて『わぁっ動いた動いた』とキャピキャピしてます。
『早く産まれてこ〜い』
と話掛けたり。

私のお腹に耳をつけ、キラキラした笑顔を付き合わせて話してる二人を見てると、涙が出そうになりました。

私、絶対にこの子産まないと!絶対に二人に抱っこさせないといけない!

っと強く感じさせられた瞬間でした。



Posted by ヒヨリ at 09:15